前回の記事では人間が亡くなった後、幽霊となって現れることが出来る限界日数が49日ってな感じのお話しをしました。
そもそも何故49日なのか?
当然のこととして、そういった疑問が生じて来るわけです。
そういった疑問に関しては私が考えた推論があるので、それをお話ししたいと思います。
ちなみにこの推論、この考え方で「ほぼ間違いないんじゃないのか?」って風にけっこう自信があったりします。
私の考えとして、その理由は原子にあると思います。
どういうことかというと・・・
人体1kgあたりを構成する平均的な細胞数は約1兆個だと言われています。
ということは体重が60kgの人間の場合、約60兆個の細胞があるということになります。
ひとつの細胞は約1000兆個の原子で構成されていると言われます。
つまり体重が60kgの人間を構成する原子の数は約60000000000000×約1000000000000000ということで約60000000000000000000000000000個ってことになります。
まぁ桁数が多すぎるんで掛け算の九九を9の段まで暗記しているほど計算に関しては絶対的自信を誇る私の能力をもってしてもこういった計算とか答えが合っているかどうかってのは自分でも甚だ疑問に思う所なんですが、ここまでケタ数が多くなってくると数ケタ程度の間違いなんて誤差みたいなもんなんで気にしても意味がないってことです。
ちなみに原子ってのは更に小さい素粒子が集まって出来ているワケです。
とにかく人間の体ってのは『いっぱいの原子』で構成されているってことは間違いないってことが言いたいワケなんです。
あと人間って呼吸だとか新陳代謝なんかで常に原子を取り入れては放出しているってことも言えるワケです。
つまり人間の体を構成する原子および人間一生分の新陳代謝による原子ってな風に考えると『想像すらできない程いっぱいの原子』によって人間ってのはそこに存在しうるワケです。
人間の体を構成していた原子ってのは、死亡したり、その後に火葬したからといって無くなるわけじゃありません。
まぁ当たり前の話です。
もし生命が活動停止したり、物質を燃やすことにより原子が消滅するとしたならば、地球上からは資源がドンドンと消失してしまい、最終的には原子によって構成される万物、つまり動物、植物、鉱物、固体、液体、気体、ありとあらゆる物質が消失した状態、つまり『完全な無』になってしまうわけです。
ちなみに『完全な無』なんて状態は有り得ないってな風に言われます。
なんて風に『完全な無』なんかについて話すとまた長くなるので、『完全な無』については今回は『完全な無』な態度に徹し、また機会があればお話ししたいと思います。
例えば火葬されれば人間の体を構成していた原子ってのは気体の原子となって空気中へと拡散し、骨壺に入れられた骨といった固体も生前の原子とは性質が変わった物質の原子となっており、さらに長い年月を経れば固体すら原型を留めることなく消滅し、また別の物質を構成する原子へと変化したりもするワケです。
つまり何百年も前に亡くなった有名な戦国武将だとか千年以上前に亡くなった有名人、例えば聖徳太子といった偉人の体を構成していた原子、あるいは日本から見て地球の裏側に位置する国で大昔に生きていた人々の原子ですら、今まさに自分が呼吸している、今この瞬間の大気中にもそれなりの数が存在しているのです。
前述のように『想像すらできない程いっぱいの原子』によって人間ってのは成り立っており、死亡すれば大気の原子となって地球全体へと広がっていくこともあり、古今東西、つまり昔から今まで様々な場所で暮らしていた人々の人体を構成していた原子が、今を生きる自分自身の回りにある大気中に存在していたとしても不思議でも何でもないってことです。
もちろん今生きている人々の呼吸や新陳代謝で発生した原子ってのも地球全体の大気中へと広がって行きますので、あなたが排出した原子が今まさに私の傍に存在し、私の排出した原子も今まさにあなたの傍に存在しているってことなので、今この瞬間呼吸する大気中にもお互いの体内にあった原子が混じっていることは間違いありません。
つまりあなたが今呼吸している大気中には、あなたが大好きな芸能人やアイドルの原子も混じっているってことが言えるワケなんです。
ってな風に聞くと深呼吸なんかしがちですが、同時に不俱戴天の仇ってほど嫌っている人が居るならば、そういった大嫌いな人の原子も混じっているってことなんですよねぇ・・・
この人体を構成していた原子というものが年月を経るほど地球全体へと満遍なく広がっていってしまうってことが幽霊として現世に現れることが出来るタイムリミット『49日間』に関わっていると推測できるわけです。
つまり人が死亡した直後ってのは、その人が暮らしていたテリトリーにおいては、その人を構成していた原子だとか、呼吸や新陳代謝によって排出された原子なんかが『濃い密度』で存在しているってことが言えるわけです。
そういった『濃い密度』の原子は亡くなった方の『意思の残滓』みないなものを帯びており、そういった故人の原子が何らかの偶然や、この世への未練といった思念なんかの作用で、『生前において縁があった人物』からの新陳代謝なんかによって放出された原子と融合し物質化したものが幽霊だと思われます。
そういう風に『故人の原子と故人と縁のあった人の原子が融合する』ってことも幽霊発生の必須条件の一つと考えれば、『なぜ幽霊は縁のある人にしか見えないのか?』ってことの説明も出来るわけです。
『亡くなった方の意思の残滓を帯びた原子が一定以上の濃度で大気中に残っている』ということが幽霊発生条件としての必須事項の一つだと考えるならば、大気中に残っている故人を構成していた原子が日を追うごとに拡散され薄まっていくという状況において、『49日間』という期間内が原子の濃度という点において幽霊という存在を構成しうる日数の限界なのだって答えがおのずと導き出されるってことなんです。
そういったことからも命日やお盆に昔に亡くなった肉親やご先祖様が幽霊になって現れるってことは有り得ないってことがお分かりいただけることと思います。
あと『幽霊に足が無い』ってことの説明も『意思の残滓を纏った原子は有限のため幽体全身を構成することは不可能である』って風に考えれば腑に落ちるわけです。
昔からの言い伝えや物語や著述やそれにまつわる台詞なんかにも幽霊に足が存在しないことに関するものはたくさんあります。
〇〇〇「足はついて無い?」
●●●「あんなの飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ」
つまり幽体を頭部から順番に作っていくと最後のほうは意思の残滓を纏った原子が不足することから膝から下くらいを構成することが出来ないため『幽霊には足が無い』ってことです。
もっとも幽霊としては『顔さえ認識されれば良い』って意識があるために、幽霊にとってはまさに『足は飾り』でしか無いわけです。
あとたまに『首無し幽霊』ってのも聞くんですが、もっとも首無しって言っても『首だけ無いって不自然だろ』ってな頓珍漢なツッコミを入れられても本人は面白いと思って言っているんかも知れんですが傍からすると全く面白くなくイラってするだけなんで一応言っておきますが『首無し幽霊=頭部が無い幽霊』って意味なのは言うまでもありませんが、、、実際の話、首無し幽霊ってのは足は存在しているってイメージが強いじゃないですか?つまり生前ウッカリした性格の人が頭頂部からじゃなく足先から幽体を構成してしまったことによる原子不足が招いた結果が首無し幽霊だと思われるわけです。
私たちのコミュニティ介遠隊ではボケ防止・認知症予防の観点からPCオンラインゲーム(eスポーツ)『PUBG(PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS)』をプレイする事が最善・最適だと考え推奨・推進しています。
さらに私たち介遠隊会員は毎日30分以上の運動をルールとし、自らに課す事で健康な体作り・体力維持・体力向上に努め健康寿命を延ばす事を目的としております。
是非!あなたも私達のコミュニティ介遠隊の会員となって、一緒にPCオンラインゲーム(eスポーツ)『PUBG(PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS)』を始めませんか?
そして介遠隊の気のあう仲間達と一緒に和気藹々、楽しく仲良くワイワイとコミュニケーションしながら『健康寿命を延ばす』という目標へと向かって共に進んで行きましょう。
【関連記事】
[お盆期間中スペシャル1]【閲覧注意】幽霊は居るのか?【心霊特集】
[お盆期間中スペシャル2]【閲覧注意】幽霊は居るのか?【心霊特集】
[お盆期間中スペシャル3]【閲覧注意】幽霊は居るのか?【心霊特集】
[お盆期間中スペシャル4]【閲覧注意】幽霊は居るのか?【心霊特集】
→ 全ての記事タイトル一覧はこちらのリンクから確認できます。 ←